[北桑田郡京北町]
河童の駒引き

昔、江口家(山国荘の名主の家柄)の屋敷の前を大堰川が流れていた。
ある日、市助(一書では、一助)という力の強い男が、いつものように馬を大堰川へ連れていって洗っていると、橋(江口橋)の下の木枠の所から、ガ−タロが出てきて、馬の足にすがりついた。
そこで、市助は「こらっ。何をしやがる」といいながら、馬を川から引き上げると、ガ−タロも一緒について上がってきた。
しかし、陸に上がったガータロは、間もなく、頭の皿の水がなくなり、力が出なくなってしまったので、市助は「今度だけは助けてやるから、早く帰れ」といってガ−タロを逃してやった。
すると、その翌朝、門の入口の所に川魚が数匹置かれていた。
そんなことが何日か続いたので、市助は、これはガ−タロが命を助けてやったお礼に持ってきたものであろうと思っていた。
それが何日も続き、また、その後ガ−タロの悪戯もなくなったので、お礼はこれくらいでよかろうと、ガ−タロの嫌いなコボセ(辛夷(コブシ))の木で作った鈎状のものを門口に立てておいたところ、その次の朝から魚を持って来なくなった。
なお、この辺りでは、昔から「筏に乗る時は、コボセの木で竿を作ると、ガ−タロに川の中に引込まれない」と言い伝えている。

[北桑田郡美山町]
河童と辛夷

この辺りでは、ガータロはコボセ(辛夷)の木を嫌うと言い伝えている。
コボセの木には一種の臭気があるので、ガータロはこの臭いを嫌って寄り付かないからだといい、この辺りの筏乗りは、アテ(翌檜)の木とともに、このコボセの木を竿にして使っていたようである。

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