河童の詫び証文
昔、徳光の川にガガタロウがいて、村の娘に懸想して、「嫁に来てくれ」と言い寄った。
それで、その娘の父親が腹を立てて、包丁を持って談判に行き、膝詰めで談判したところ、ガガタロウの方が負け、謝って、詫び証文を書いた。
そして、それ以後、その河童は東小田の曲がり角の川原に、竹の笹に突き刺した鯰や鯉を置いていったという。

河童の詫び証文
昔、永島家の屋敷の裏は深い淵になっていた。
ある時、永島家の美しい娘が、その淵で洗濯していたところ、ガガタロウが現われて、「わしの嫁になれ」といった。
その家の婆さんが、娘からその話を聞て、出刃包丁を口にくわえて淵に潜り、ガガタロウに直談判をしたところ、ガガタロウが詫びて、毎日魚を届けると約束し、証文を書いて渡した。
その証文は、今も、この家に伝えられているという。

河童の詫び証文
 昔、ある男(一説では、永島家の主人)が小浜谷に行くと、若い男に化けたガガタロウがいて、「お前の娘を俺の嫁にくれ」といった。
男は「ガガタロウなんぞに、かわいい娘をやれるもんか」といって断ると、何日か後に、その娘が川へ洗濯に行った時、ガガタロウに川の中に引きずり込まれて死んでしまった。
そこで、親が怒って、ガガタロウの怖がる包丁を持って川に行くと、ガガタロウが出てきて、平謝りに謝った。
そして、「今後、和田野(弥栄町)のデッパラから志布比神社までの間は、荒らさないので許してくれ」といって証文を書いた。
そして、その後、許されたお礼として、毎朝、その家の戸口に立ててある竹の杭に鯰や鰻を刺していったが、何年か後にその竹の杭が腐ったので、鍛冶屋に頼んで鉄の杭を作ってもらい、取り換えたところ、その翌日から、持って来なくなったという。

河童の手紙
昔、竹野川には、いくつも深い淵があって、ガガタロウが住んでいた。
徳光の永島家の屋敷の裏にある淵にもガガタロウが住んでいたし、弥栄町との境あたりにある淵にもガガタロウが住んでいた。
ある時、一人の男が、徳光のガガタロウから、向こうの淵のガガタロウに、手紙を届けて欲しいと頼まれた。
そこで、その手紙を届けてやることにしたが、途中で、その手紙に何が書かれているか気になったので、開けてみたところ「この人を殺して、肝を食え」と書いてあったので、手紙を破り捨て、一目散に逃げ帰ったという。

海の河童
 この辺りでは、「盆の間に海へ行くと、水の底から頭に皿をかぶったガワタロウが出てきて、肝を抜かれてしまう」と言い伝えている。
船に乗って沖へ出ても、ガワタロウが船の舳先にくらいついて、「柄杓が欲しい」という。
そこで、柄杓を貸してやると、それで海の水を何杯も汲んで、船の中に入れ、最後には船も人も海の底に引き込んでしまう。
だから、ガワタロウに「柄杓が欲しい」といわれた時には、底の抜けた柄杓を貸してやらなければならない。

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