「嵯峨面」の河童
 木原裸院・芹川弘吉らが、当時、流行した農民芸術製作の一環として、右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町の「嵯峨釈迦堂」(清凉寺)に伝わる「大念仏狂言」に使われる面を模して作ったのが「嵯峨面」で、愛宕詣りなどに厄除けとして売り出されものである。
一時中断したが、第二次世界大戦後、藤原孚石氏によって復活し、氏の没後は、子息の敏行氏が製作している。
その種類は二十種を超え、「長寿」「羽黒」「大黒」「翁」などの他、「般若」「河童」「天狗」などもある。
「嵯峨面」に添えられている「幻の嵯峨面の由来」には、十萬上人が御母堂の死後、舞いを舞って菩提を弔われたのが嵯峨大念仏狂言の始りであることを述べた後、次のように書いている。

その時の表情を写した面がこれよりのち長寿と厄除信仰を込めて創られてきましたが時代の移りかわりと共に作者も段々減ってゆき今では殆どみられなくなっていました
この幻の嵯峨面を厄除面としてまた守護面として取り揃えて長くご鑑賞頂きたいと存じます

「清水焼」の河童
桃山時代に始まる京都の製陶業は、江戸時代に入って、特に東山山麓一帯で発展をみ、「清水焼」はその一窯で、近世「京焼」の代表的な焼物である。
その「清水焼」の製品には飲食器が多いが、「河童」を象ったものも何種かある。

「清水人形」の河童
 清水寺から産寧坂(三年坂)、二年坂を通って円山公園に抜ける道の両側に土産物屋が軒を並べているが、ここで清水参りの客相手に売られてきた種々の人形の中で古くから知られているのが「清水人形」である。
「清水人形」には土製のものの他に、陶製の石焼人形があり、この人形は焼きしめをしてから釉薬がけをせず、泥絵具で彩色をし、色の落ちないようにニスを塗ってあるのが特徴である。
その「清水人形」の中に「河童」を象ったものがある。

河童人形
山科区西野山中臣町の「(有)京都人形」で作られている人形の中に「河童」を象ったものがある。
その中の「女河童」は、体が空色で、鮮やかな赤に黄色の葉っぱを持ち、横向けに寝そべっており、その姿は妙に色っぽい

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