平安時代において暮らすためには、米を作らなければなりません。そのため、雨が必要だったのです。日本各地では、雨の神様を「龍王」とか「龍神寺院」とか「雨乞い社」とか「雨の宮」とか様々な言い方をして祀っています。さきほど、お話した貴船神社に至っては、「貴船社」と呼ばれる神社が全国に500箇所あります。このように全国には、水の神様がたくさんあります。天皇だけではなく、民衆にも水の神様が必要でした。雨が降らなければ生活できなかったのです。
 民衆の雨乞いで有名なのが、京都府亀岡市で4月18日に行われる花笠踊り
2)です。この祭りは、中世から近代にかけて行なわれました。江戸時代においては、1000人以上が踊る非常に盛んな祭事であり、府の無形文化財に指定されています。豊作を祈る雨乞いの踊りです。他の雨乞いとしては、亀岡では山頂で火を焚き太鼓をたたき雨乞いを行いました。その火は、北野天満宮(現京都市上京区)から持ってきました。「北野天満宮は水の神様なのか」と、訪ねられるとよくわからない所もあるのですが、菅原道真3)が影響していると思われます。
 他には、宇治田原町で9月1日に行われる大滝祭
4)があります。この祭事では、ウナギを使うのですが、このような祭事は日本中でたくさんあります。龍の話とか、カッパの話とか、井戸や滝の話が日本のいたる所にあります。龍の話だと、「雨を降らして欲しいです」と農家の人が龍に頼むと、龍が「嫁が欲しい」と言います。そこで、農家の人は家へ帰り、長女に聞くと長女は断り、次女に聞くと次女も断ったんです。三女は仕方がなく龍のところへ行きます。この話は古事記などに、その起源を見ることができます。この龍に関わりのあると思われるのが宇治田原町の大滝祭なのです。
 宇治田原町で行われている雨乞いの儀式「大滝大明祭」は、ウナギに御神酒を飲ませ、「雨、たもれ」と言いながらお祈りをします。この「あめ、たもれ」というのは、貴船神社の「アメタモレ」からきていると私は思います。一番格式の高い所で行なわれていた祭事の形態が、何らかの理由で民衆に伝搬したのです。

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