京都の水文化

「水の都・京都」から伝えたいこと
カッパ研究会・世界水フォーラム市民ネットワーク
鈴木 康久

古都「京都」は、1000年以上の長きに渡り世界の様々な文化を受入れ、それらの文化を自らの暮らしの中に取り入れてきた世界有数の文化都市です。このことについて否定される方は少ないでしょう。
 しかし、ここ京都が「水の都」であることについては、あまり論じられて来なかったのではないでしょうか。本報では京都には今も様々な水文化がいきづいており、「水の都・京都」として世界の方々から呼ばれることが相応しいことを説明し、水文化を考慮した河川整備や都市整備の必要性と暮らしの中にもっと水文化を取り入れることの重要性を伝えたいと考えております。

◇ 水との暮らしが文化を育む

 京の水文化は、都市計画や食文化だけに止まるものではありません。貴船神社に代表される水の神への信仰、工芸の世界で多様されている水文様、夏に涼を呼ぶ打ち水、鴨川に並ぶ納涼床の水の風景。その全てが千年の長きに渡り、暮らしの中で育まれてきた京の水文化、水とともにある私たちの生き方です。このような水文化は、世界のどこに地域にもあったはずです。上下水が整い水が見えなくなり、ある種の価値観のグローバル化が進むなかで、地域独自の水に対する思いや知恵が消えつつあります。私たちは水との距離をもう少し近くすることが大切ではないでしょうか。水文化を考慮した都市計画や河川整備をすることはもとより、日々の暮らしの中に水文化を感じる時を少しでも増やしていくことの必要性を「第3回世界水フォーラム」の場で強く伝えたいと考えています。


連続講座 1月30日

【京の水】
「水の都・京都」
~平安時代までの京の水伝承を中心に~

鈴木 康久氏 (カッパ研究会)

要    約

 水の都である京都には、水に関する様々な伝統や文化、祭事が現在でも色濃く残っている。このような水文化は、京都が千年の都であったことに強く起因しており、京都特有の文化資源の一つである。特に貴船神社は、平安遷都以前から水の神が祀られおり、連綿と水に関わる祭事が催されている。そして、「京の水」には、秦氏や加茂氏、東寺の空海(弘法大使)などが大きく関わっていた。この「京都の水文化」の発祥について、水を関わる様々な話があったことを語りで描いていただいた。

INDEX

8世紀に造営された平安京には10以上の人工河川があった
京都の豊かな水が日本の食文化を彩る
京の水と貴船神社
賀茂氏と秦氏
水と弘法大師
民衆の雨乞い
水と龍・河童
結びにかえて

注    釈

1) 欽明天皇・・・西暦540年に皇后になる。
2)花祭り(出雲大神宮、千歳町出雲地区)・・・春の大祭のこの日花踊りが奉納される。和銅年間に始まった雨乞いの神事が起源とされ四季の花などで飾った花笠に狩衣、水干、白足袋姿の踊り手が小太鼓を房ばちでたたきながら、うたや笛に合わせて踊る優雅なものでいろいろな題の踊りがあるが、現在では、「正月踊り」豊作を祝う「一の宮踊り」縁結びの「恋の踊り」などが演じられている。
3)菅原道真(845-903)・・・平安時代初期の学者、政治家。
4) 大滝大明神祭・・・大滝大明神祭とは、五穀豊穰・災害除けとして催され、滝の一角に水の神をまつり、滝の上部から滝壺へ、うなぎ3匹に御神酒を飲ませて放つ。このうなぎが天までのぼり。雲を呼ぶと言い伝えられていることから、雨乞いの儀式ともされている。
5) 神泉苑(しんせんえん)・・・二条城の南側にある平安京の遺跡。約1200年前につくられた 天皇が円遊するための広大な池泉庭園、当時の十数分の一しか現存していない。
6) 遠野市・・・岩手県遠野市。民俗学者である柳田國男がこの町を描いた作品『遠野物語』で有名。