京都の豊かな水が日本の食文化を彩る

 先に述べたように、排水を考慮して造営された平安京において飲み水はどのようにしていたのでょう。京都は、江戸時代の文士である滝沢馬琴が「京に良きもの3つ、女子、賀茂川の水、社寺」と述べているように、京都は水の良い地として知られていました。京町屋には内井戸があることからも分かるように、京の人達は井戸水を飲んでいました。発掘調査で確認される井戸は、平安時代から江戸時代まで時代は様々ですが、その深さは3m~4mと一定しています。このことは、京都の地下水は千年以上にわたり一定であったことを私たちに教えてくれます。
 この地下水は、多くの名水を生みだしました。江戸時代に書かれた「京羽二重」には、7つの名井戸と20の名水が記されています。名水は、室町時代に活躍した能阿弥が選んだお茶の七名水などが知られています。また、平安時代に清少納言が書いた「枕の草紙」にも「少将井」など9つの井戸が記されています。
 このように名水に多い京都では、水に大切にした食文化が発展していきます。京の水は鉄分が少なく、硬度が低いことが特徴で、薄味の京料理に応じた水だといえます。この水で造られるのがお酒であり、豆腐や湯葉、そして麩などの京料理には欠かすことができない食材です。京都においてお酒は、大内裏の造酒司で白酒や黒酒など十数種類のお酒が季節や祭礼に応じて造られてきました。北野天満宮文書(1426年)によると室町時代には347軒の酒蔵があり、柳酒屋がつくる柳の酒などは京都の銘酒として全国で知られるようになります。同様に、京麩も他の地域に送られ賞賛されていることを「擁州府志(1684年)」が記している。江戸時代の観光ガイドブックである「拾遺都名所図会」には、二軒茶屋で豆腐田楽を見ているオランダ人の姿が描かれています。このように水に関わりの深い食が日本の各地に広がり、日本の食文化をつくることになります。

<<もどる